あの日から一年が過ぎようとしていた...
















































1997年3月7日、第七回限定解除MLツー リングが行われた。限定解除MLの設立者であり座長である故 桂川直己君の一周忌としてつくばに向かった。















3月6日

3月5日に熊本を出た森 川君が早くも16時前に横浜に到着した。前日関東は大雪だったのだが この日は良い天気だった。国道1号と16号の交わる浜松町交差点に待って いるというので迎えに行った。交差点の脇で待っている森川君を発見Photo。遥か九州の地からおつかれさま。

彼がバイクに乗ると知ったのはいつだったろう。ASCII NETと いうBBSで知り合ったこともあって、最初はコンピュータを扱う上 での話題を主に交わしていたように覚えている。1995年の大駒研 夏合宿に彼を誘い、一緒にバイクで下田まで行ったのが彼との 最初のツーリングだった。

別の趣味で知り合った友人が、実はバイク乗りだということが 分かるのは非常に嬉しい。

「じゃあこんどバイクで一緒に合宿に行こう」
その一言で十分だった。共に走って、同じ景色、同じ風、同じ爽 快感を共有したあとは、いっそう互いの存在が大きなものとなっ た。

出発(当日)

午前8:40自宅を出発Photo。国道一号遠藤町交差点で横越と合流。さ らに中原口手前で三川さんと合流。京浜組全体集合場所の首都高宝町入口Photoへ。既に10台近くが集 まっていた。この場所難しい。

まだ10時まで間があったので近くのローソンでおにぎりを買って食べ た。高速バスのターミナルで待つかぴちゃんとの話合いの末、10:15のバ スにかぴちゃんが乗ることにして、我々はそのバスを追いかけることにし た。

彼は大学に入る以前は「バイク = 不良」という悪いイメージ が先行し、自分で乗ろうなどとは思っていなかったということだっ た。そんな彼の固定観念を崩したのは川崎重工のZZ-Rだっ た。

それまで粗野なものととらえていた彼にとって、航空機のよう な空力を意識させるボディは新鮮に映ったらしい。そして持ち主 である後輩に頼んで敷地内を運転させてもらった彼は、加速感と 風と操る楽しさに魅了されたのだった。

そうして彼は大学三年のときに教習所に通い始めた。通い始め る前に新車のZZ-R250を注文してしまっているところがいかにも彼 らしい。

首都高〜常盤道

12台分の料金をまとめて払ってから料金所を出たところの脇で高速バ スを待った。最初は集団でバスを追いかけてつくばセンターまで走る予定 だった。ところがこの日はものすごい風。しかも川の上の高架部分はとく に風が強く、方向もぐるぐると変わるのでとても恐く、バスを追いかける のは非常に困難だった。先頭を走る三川さんも最初は頑張って食らいつい て行ったものの、途中で断念。遅めの車のペースに合わせて走ることにし た。

ミラーを見ると大きく伏せて風と戦っている森川君が見えた。そのう しろにも突風の恐怖を堪えて走っている姿 Photoが見えた。みんな頑張っている。頑張って桂川君のもとに 向かっている。そして、この日のツーリングに向かう前に、葬儀に出られ なかったのでいまでも彼のことをしょっちゅう思い出すと言っていた後輩、 僕とは面識が無かったものの追悼ページを みて感激してメイルをくれた彼の親友、そして同じく面識が無かったもの の命日を前にメイルをくれた彼の学部時代からの友人。彼をめぐる大きな 輪、彼が残した想い出、そうしたものを考えているうちに悲しさがこみ上 げて来た。去年は無かった涙が頬を伝わるの を感じて愕然とした。彼がこの世に存在しないことを、もう自分は現実の ものとしてとらえていることのように思えた。できればこの強風で巻き上 げられた砂塵のせいだと思いたかった。

彼は中型免許を取って間もない1991年に、一度限定解除に挑戦 している。そのときは五度トライしてあきらめてしまったようだっ た。そうしてしばらく時が過ぎ、私がひょんなことから限定解除 に成功し、FireBladeに乗り始めたことをきっかけに彼 の限定解除熱が再燃した。

彼は1996年の夏から限定解除試験の再挑戦を始めた。彼にいろ いろと聞かれて答えて、などを繰り返しているうちに、彼は 「genteikaijo MLというのは無いのか」といい始めた。そうして しばらくやりとりを繰り返 しているうちにできたのが限定解除MLである。最初はお遊びで作っ て二人だけで話すだけのつもりだったらしいのだが、せっかくな ので私がfjにアナウンスを出してみた。するとその日のうちから 三々五々といった感じで会員が集まって来た。潜在的な需要はか なりあったのだった。

そうして限定解除MLは発足した。限定解除MLに入って来る人は 皆、本当にいい人ばかりであった。暖かいコメントのやりとりが ML上に流れるたびに、二人で感激していた。

途中、あまりの風の強さに逃げ込むように 谷田部PAPhotoに入った。伊東君との待ち合わせがここだった のだが、しらないうちに我々の集団に加わって走っていた。少しの休憩の あと、気合いを入れて出発。

つくば

なんとか風に飛ばされることもなく、11:20桜 土浦到着Photo。さっそく三川さんが高速バスターミナルへかぴちゃんを 迎えに行った。我々は、直接全体集合場所の COCOS駐車場Photoへ。去年とは違ってどうやら北上組の方が早かっ たようだ。全員揃うのを待つ間、三川さんと花を買いに行って来た。

全員揃ったところでCOCOSで昼食。ランチを注文。ふう、満腹。外は凄 い風だなあ。埃のせいで目がしょぼしょぼする。とりあえず、今、生きて いることは確かなようだ。妙に実感する。

COCOSで昼食を取ったあと、平塚大通りを西進し一年前のあの現場へ。 クロネコの営業所は相変わらずの状態だった。出口の植え込みは完全に抜 かれ、クロネコから出る車が右折できないように道路にはセンターポール が打ち込まれていた。それをあざ笑うかのように少し手前のすき間からト ラックがすり抜けて営業所に入って行く。

めいめいが持ち寄った供物を舗道脇の小さな仮墓前に捧げた。また涙 が出そうになっている自分に気づき、完全に過去になってしまったという 思いが押し寄せて来た。「ということで、皆さん気を付けて走りましょう」 という自分の呼びかけが、空虚な笑い声として自分の耳に入る。

本来このあとで去年同様筑波山に行く予定だったのだがあまりの強風 で危ないということで遠藤さんに教えてもらった桜庁舎の駐車場Photoへ。ここで試乗会。と りあえずここではSHERPARAIDに乗らせても らった。やっぱりオフ車はええなあ。

最初のうちは試乗会もひっそりと乗っていたのだが、だんだんエスカ レートして来て爆音を立てて庁舎の前を往復し始めた。非常に芳しくない 雰囲気になって来たので切り上げましょうということにして4時前に桜庁 舎をあとにした。

全員でつくばバスターミナルに向かい、集 合写真Photoを撮ってから解散。東京神奈川組は南を目指した。

帰り

帰りは田舎道を楽しもう、ということで学園東大通りとR6の交差点を 過ぎ、線路を跨いだあとの5差路を右折、荒川本郷を抜けた。このあたり はまさに田園風景で、道の脇には広大な畑が広がる気持良い道だった。実 穀で右折してそのまま利根川へ向かった。利根川に近付く前は非常に快適 な道路だったのだが、利根町に入ってからはものすごい距離の渋滞。余り に長いので途中からすり抜け開始。どういう渋滞だろうと思ったら、近辺 で利根川を渡る橋が一本しかないのでそこがボトルネックになっていると いう分かりやすい渋滞だった。川を渡ったらようやく渋滞から解放された。 R464にぶつかったところで右折。千葉ニュータウンのあたりは結構気持良 かった。R464の鎌ヶ谷のつきあたりで左折、そのあと右折してR464に乗り 続けようと思ったら、なんとここは右折禁止、がーん。そのまま木下街道 を下る羽目に…。R14に入る手前に踏切があってまたまた渋滞。結構疲れ て来た。

さてさて、R14をそのまま走って都心に入ろうと思ったのだが、千葉街 道を直進してしまって荒川脇に出てしまった。しまった‥完全にコースか ら外れた。このままユーターンするのも悔しいので、前を走っているいか にも地元ィの車を追ってさらに狭い川沿いの道に進入していった。おおお、 なんかまさに抜け道。きっと、後ろの人は「すげー抜け道知ってるなあ」 と感心しているに違いない:-) ずーっと細い道を走っていたら、急に広い 道路にぶつかった。でも、どっちに曲がっていいか分からない… ^^; バ イクを止めて地図を確認。どうやら船堀街道に出たらしい。てことで新大 橋通りに復帰できた。最初に見付けたデニーズで夕飯。眠い…Photo

9時半にデニーズをでて、そのあとは知らないうちに皇居前でR1に出る ことができた。丸ノ内のあたりから自然解散。23時帰宅。

おつかれさまでした。
yuuji@example.org
Fingerprint16 = FF F9 FF CC E0 FE 5C F7 19 97 28 24 EC 5D 39 BA
HIROSE Yuuji - ASTROLOGY / BIKE / EPO / GUEST BOOK / YaTeX [Tweet]